1969年の東京を歩く──『赤頭巾ちゃん気をつけて』の世界
1969年、庄司薫の小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』が発表され、第61回芥川賞を受賞した。主人公の「薫くん」は1950年生まれという設定で、当時の銀座・有楽町界隈を歩き回る。朝日新聞社、読売新聞社、旭屋書店、近藤書店などがまだ存在していた時代である。
「薫くん」シリーズと庄司薫の遊び心
「薫くん」シリーズはその後『さよなら怪傑黒頭巾』『白鳥の歌なんか聞えない』と続き、1977年の『ぼくの大好きな青髭』で完結した。タイトルに並ぶ赤・黒・白・青は、相撲の赤房・黒房・白房・青房に由来するという作者のエッセイを読み、なんとも洒落た遊び心だと感じた。
横浜をテーマにしたアルバム──『Y.O.K.O.H.A.M.A.』(1979年)
今回取り上げるのは、柳ジョージ&レイニー・ウッドの3作目のアルバム『Y.O.K.O.H.A.M.A.』(1979年)である。タイトルどおり横浜をテーマにした全10曲が収録され、後半に進むにつれて歌詞の中に横浜の風景が濃く立ち上がってくる。
ラストの「FENCEの向こうのアメリカ」は、NO.5で扱った「本牧メルヘン」と同様、米軍と日本が共存していた本牧を描いた曲で、アルバムのコンセプトを象徴する存在である。
“和製クラプトン”柳ジョージという存在
柳ジョージはギターを担当し、ブルージーな歌唱と合わせて“和製クラプトン”と呼ばれた。このアルバムでもその魅力を存分に味わえる。
庄司薫は自作がJ・D・サリンジャーと比較されることに反発していたが、エリック・クラプトンに重ねられることは柳にとってむしろ勲章だっただろう。
横浜生まれの柳ジョージは、後期のザ・ゴールデン・カップスにベーシストとして所属していた人物でもある。『Y.O.K.O.H.A.M.A.』というアルバムを作る資格を持つ数少ないミュージシャンのひとりだ。
変わりゆく銀座、変わりゆく横浜──街の記憶をつなぐ作品
「薫くん」の時代と比べると、現在の銀座は大きく姿を変えた。朝日新聞社や旭屋書店は姿を消し、ファストファッションやカジュアルウェアの店が並ぶ。『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、かつての銀座を記録した作品としても興味深い。同様に『ぼくの大好きな青髭』は同時期の新宿を描いている。
そして、柳ジョージ(1948年生まれ)が歌う横浜もまた、みなとみらいが影も形もなかった<あの頃の横浜>である。ブルースとロックが融合した『Y.O.K.O.H.A.M.A.』のサウンドは落ち着きと品を備え、ある時代の街を歌うという難しいテーマに挑み、見事に成功している。
このアルバムは、音楽によって横浜の記憶を刻んだ貴重なアーカイブと言えるかもしれない。
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補記
庄司薫は東京大学在学中の1958年に本名の福田章二で発表した『喪失』で中央公論新人賞を受賞した。その後沈黙して69年に『赤頭巾ちゃん気をつけて』で再登場した。その間、何をしていたのかという問いにはあいまいで、私が記憶しているのは、「柔軟体操をしていた」というものです。
1950年生まれの「薫くん」は1969年当時19歳でしたが、作者の庄司薫は32歳でした。15歳で『赤頭巾ちゃん』を読んだ私としては、この年齢に少々違和感を覚えます。
■関連記事はこちらです。
本牧メルヘン→NO.5「本牧メルヘン」
ザ・ゴールデン・カップス→NO.4「本牧ブルース」
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■その他のシリーズ
シリーズ4:映画×音楽の交叉点-60~70年代の映画と音楽の記憶- →公開準備中
シリーズ5:地域金融機関という人間牧場-いろんな人がいた- →公開準備中
