Bonus Track は、「YOKOHAMAの歌を読む」の本編から少し離れ、横浜の歌をめぐる周辺的な話題や、歌の背景に潜む別角度の物語を取り上げる小さな寄り道の章です。 本編では触れきれない視点や、横浜の音楽文化を読み解くための補助線となるエピソードを、気軽に楽しんでいただければと思います。
1. 唄われなかった横浜──「港町ブルース」の不在
森進一の名曲「港町ブルース」には、次の地名が登場する。 函館・宮古・釜石・気仙沼・三崎・焼津・御前崎・高知・高松・八幡浜・別府・長崎・枕崎・鹿児島。
森のヘビーな演歌に、都会的な横浜は(「そして神戸」も同様に)うまく乗らなかったのだろう。「港町ブルース」に横浜は登場しない。1969年にレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞したこの曲に“唄われなかった”こと自体が、港町・横浜の性格を逆説的に物語っている。前年には、ポップスの天才・筒美京平が作曲した「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)が大ヒットしており、この二曲は横浜にとってネガとポジの関係にあるようにも思える。
2. 横浜が演歌に登場するまでの時間差
演歌として横浜が本格的に唄われるのは、1971年の「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)を待たねばならなかった。ただし、五木の巧みな節回しは演歌としては軽やかで、森進一もまた吉田拓郎とのコラボによるライトな「襟裳岬」(1974年)で評価されることが多い。個人的には「盛り場ブルース」や「港町ブルース」の頃の森が好きだ。あの頃は“60年代”というより、“昭和40年代前半”と呼ぶほうがしっくりくる。
3. 「よこはま・たそがれ」が示した時代の転換点
「よこはま・たそがれ」は、高度経済成長の終焉、あるいは<軽薄短小時代>の到来を予兆していたのかもしれない。
追記
1966年、「女のためいき」でデビューした森進一は、当初“かすれ声で女心を歌う異端児”として扱われ、「ゲテモノ」「一発屋」と酷評されました。しかし、その独特の声質と情念を帯びた歌唱はすぐに大衆の心をつかみ、レコード大賞への入賞や紅白歌合戦のトリなど、圧倒的な支持へとつながっていきます。その“デビュー期の森進一”を味わえる音源は、こちらのCDで楽しめます。→Amazonで『森進一ベストヒット』を見る
既存の価値観に挑む表現者は、往々にして反発を受けるものです。同じ1966年に来日したビートルズでさえ、「騒音だ」「武道館を使わせるな」と批判された記録が残っています。
それでも時代が進めば、“異端”は“新しさ”として評価される。森進一の歩みは、その象徴と言えるでしょう。
■関連記事はこちらです。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」→NO.2「ブルー・ライト・ヨコハマ」
「よこはま・たそがれ」→NO.6「よこはま・たそがれ」/「海を見ていた午後」
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