楽しく学べる!財務・マーケティング NO.16
🟦1.What is Marketing?
金融機関向けの研修で「マーケティングが日本に入ってきたのはいつ頃か」と尋ねると、多くの受講者が「意外に最近ではないか」と答える。 それも無理はない。1993年の金融制度改革法の施行と定期預金金利の完全自由化まで、戦後ほぼ50年にわたり金融機関は厳しい監督行政のもとに置かれ、規制金利によって利ざやが確保されていた。競争がほとんど存在しなかったこの時代、金融機関にとってマーケティングは縁遠い概念だったのである。
マーケティング自体は20世紀初頭のアメリカで誕生したが、日本に「輸入」されたのは1955年(昭和30年)とされる。これは、日本生産性本部のアメリカ経済視察団が帰国した際、団長である石坂泰三(当時・経団連会長)が羽田空港で次のように述べたことに由来する。
「アメリカにはマーケティングというものがある。わが国もこれからはマーケティングを重視すべきである」
それから半世紀以上が経つが、マーケティングは日本語にならなかった。ドイツ語でもフランス語でも“marketing”のままである。 これは、マーケティングがあまりに広範で多様な概念を含むため、適切な訳語が見つからないからだろう。筆者自身も学び始めた頃、その多面性から「マーケティングとはヌエのようなものではないか」と感じたことがある。
研修で「マーケティングとは何か」と質問しても、明快な答えが返ってくることはほとんどない。唯一、ある女子大学生が「セリングを不要にするもの」と答えたことが印象に残っている。
🟦2.ピーター・F・ドラッカーの慧眼
彼女の答えは、ピーター・F・ドラッカー(1909〜2005)の有名な定義に基づいている。
「マーケティングはセリングを不要にするものである」
ここでいうセリングとは、hard-sell(押し込み・押し売り)を指す。金融界でいえば、歩積両建まがいの預金セールスやベッグセールス、さらにはバブル期の融資の押し込みなどが該当するだろう。
マーケティングとセリングはしばしば混同されるが、ドラッカーの言葉が示すのは「売り込む前に売れる仕組みをつくる」ことの重要性である。私はマーケティングを「売れる仕組みづくり」とシンプルに定義している(対照表参照)。
マーケティングとセリングの対照表
| 観点 | マーケティング(Marketing) | セリング(Selling) |
| 目的 | 売れる仕組みをつくる(需要創造) | 今日の糧を得るために売り込む |
| 発想 | 顧客起点・市場起点 | 自社起点・商品起点 |
| 時間軸 | 中長期的(持続的な関係構築) | 短期的(目先の成果) |
| アプローチ | 調査・分析 → 戦略 → 実行 | 行動優先(まず訪問・まず提案) |
| 価値提供 | 顧客の課題解決・満足の創出 | 商品を買ってもらうこと自体が目的 |
| 成果の測定 | 顧客生涯価値・市場シェア・ブランド力 | 売上・件数・当月の実績 |
| 象徴的な姿勢 | 「売り込む前に売れる状態をつくる」 | 「いいじゃないの今がよけりゃ」的短期志向 |
| 金融界での例 | 顧客の資産形成ニーズに基づく商品設計 | 歩積両建・ベッグセールス・押し込み融資 |
| リスク管理 | 事前の分析でリスクを回避 | 実行してから問題に対処する |
セリングの本質は「今日の糧を得るために、アクション中心で顧客に売り込む」ことである。まず行動ありきで、その結果として対価が得られる。規制時代の金融界がセリング志向だったのは当然として、現在でもその傾向は根強い。
日本企業には「行動性を重視する文化」がある。綿密な調査や戦略策定よりも、まず動き、実行しながら戦略を考えるスタイルだ。「見る前に跳ぶ」のである。高度経済成長期には、このスタイルが高い実行力と相まって成功を支えた。
🟦3.金融界におけるセリング志向の弊害
しかし金融界では、この「アクション中心」と「効率発想」が悪い形で結びついたのがバブル期だった。 融資審査の焦点は、顧客の返済能力ではなく、担保提供能力へと移行した。事前の分析よりも「まず実行し、問題が起きてから考える」姿勢が優先されたのである。
セリングの発想は、佐良直美が歌った「いいじゃないの今がよけりゃ」に象徴される。高度成長期の空気感をよく表したフレーズだが、同時に短期主義の危うさも示している。
失われた30年を経て、さすがに極端なセリング志向は影を潜めた。しかし、「売れる仕組みづくり」というマーケティング発想は、依然として金融機関に十分根付いているとは言い難い。
■前後の記事
次の記事→NO.17「昔の名前で出ています-キャッシュフローと経常収支」
前の記事→NO.15「振りむかないでいてほしい-戦略とROAの関係」
