1. 「本牧メルヘン」と「海を見ていたジョニー」の意外な共鳴
初めて「本牧メルヘン」を聴いたとき、五木寛之の短編「海を見ていたジョニー」がすぐに思い浮かんだ。 ベトナム戦争帰りの黒人兵ジョニーが、戦争で人を殺めた自分にはジャズが弾けないと苦悩する物語である。
直感的には歌詞に登場する“ジョニー”という名前の一致からの連想だが、それだけではない。 「ペット(トランペット)のブルースに送られて」というフレーズが示すジャズ観が、「海を見ていたジョニー」と深く通じ合っている。 両作品が想定しているのは、4ビートのジャズだろう。
2. “状況に追い越されたジャズ”を愛する保守性
「海を見ていたジョニー」は1967年刊行の短編集に収録された。同時期、音楽評論家・相倉久人は「ジャズは状況に追い越された」という有名な言葉を残している。 ポップミュージックとしてのジャズの存在感が急速に薄れつつあった時代の感覚だ。
「本牧メルヘン」と「海を見ていたジョニー」に共通するのは、まさにこの“状況に追い越されたジャズを愛する保守性”である。 平岡正明が「横浜ジャズは後向きでいいのだ」(『ハマ野毛』創刊号)と述べたように、横浜の“古い”部分を象徴する感性がここにある。
3. マイナー曲に宿る本牧の空気──阿久悠・井上忠夫・鹿内孝
これまで取り上げてきた曲と比べると、「本牧メルヘン」はややマイナーな存在である。 作詞は阿久悠、作曲はブルーコメッツの井上忠夫(井上大輔)、歌ったのは鹿内孝。1972年の作品である。
「本牧で死んだ娘は鴎になったよ」と、いきなり地名から始まるが、本牧という街は全国的な知名度が高いとは言い難い。 「伊勢佐木町ブルース」が「あなた知ってる 港ヨコハマ」と歌い出すのに対し、「本牧メルヘン」は本牧が横浜であることを一切説明しない。
4. 本牧という“異界”──米軍接収地が生んだ無国籍性
戦後から1980年代前半まで、本牧には米軍の接収地が存在し、軍施設や軍人住宅が並んでいた。 フェンスに囲まれ、日本人の立ち入りが禁じられた区域もあった。
本牧は、日本人社会と“アメリカ”が共存する特異な空間だった。 元町と本牧をつなぐ麦田のトンネルは、浜っ子にとって“異界”への入口のような場所だった。
この独特の空気を、横浜以外の人がどれほど理解できるだろうか。 (たとえば「北千住」という地名に含まれるローカルなニュアンスを、外国人が理解しにくいのと同じである。)
5. なぜ本牧だったのか──阿久悠が求めた舞台設定
阿久悠は自身のブログで、「本牧メルヘン」には“無国籍”な雰囲気を求めたと記している。 その舞台として、本牧ほどふさわしい場所はなかった。
米軍文化と日本文化が混ざり合い、ジャズが似合い、どこか時間が止まったような街。 「本牧メルヘン」は、そうした本牧の空気を背景にして初めて成立する歌なのである。
補記
「本牧メルヘン」を作曲した井上忠夫(井上大輔)は、ジャッキー吉川とブルーコメッツの中心メンバーとして活躍した人物です。アメリカ留学から帰国した鹿内孝を、テレビ番組でブルーコメッツが「お帰りなさい」と迎えた場面を覚えている方もいるかもしれません。当時は意味が分からなかったのですが、実はそれ以前に「鹿内孝&ブルーコメッツ」として活動していた時期があったのです。
ブルーコメッツといえば、日本レコード大賞を受賞した代表曲「ブルー・シャトウ」がよく知られています。短髪にスーツという端正なスタイルで、紅白歌合戦にも出場しました。当時、スパイダースをはじめとする多くのグループサウンズ(GS)が「長髪」を理由に紅白出場を認められなかったことを思えば、ブルーコメッツの存在は少し特異でもあります。
近田春夫は著書『グループサウンズ』の中で、極論として「“ブルー・シャトウ”だけの一発屋」と評しています。しかし実際には、「マリアの泉」「北国の二人」など、ヒット後にも良質な楽曲を残しており、セールスも決して悪くありません。やがて歌謡曲寄りの路線へと移行していきますが、その変遷こそがGSというムーブメントの縮図のようにも見えます。
ブルーコメッツのベスト盤を聴くと、GSの音楽的な変化を一望できるはずです。そうした意味でも、ブルーコメッツはGSを象徴するバンドと言えるでしょう。 → Amazonで『ジャッキー吉川とブルーコメッツ ベストセレクション』を見る
また、1960年代半ばから1970年にかけて日本中を席巻したGSという現象については、近田春夫『グループサウンズ』が全体像をつかむのに最適です。GSの背景、音楽性、社会との関係まで立体的に理解できます。 → Amazonで『グループサウンズ』を見る
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